💬インタビューレポート
保護者
一般市民として関心を持ち、大学生の子どもが中高生だった頃に報道などを通じてデジタル教科書の動向を見ていた保護者経験がある。
💬主な意見
単純置換でなく生成AI連動の可能性を残す
“制度は紙の置き換えに留めず、生成AI連動で個別最適化やコーチング的支援を広げられる形に。運用面では端末故障・通信断に備え対話のプランBも必要。
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本日は、「デジタル教科書を正式な教科書として認めるための法案」について、ご意見やご経験をうかがいます。率直なお話で大丈夫です。 この法案は、あなたの生活や立場とどのように関わっていますか?
子どもが学校に通っている(保護者)
保護者の立場で関わってくるのですね。お子さんの学校では、デジタル教科書(紙の教科書と同じ内容を端末で見るもの)を使っていますか?
配られているが、あまり使っていない
配られてはいるけれど、あまり使っていないのですね。 「使っていない」と感じるのは、どんな場面のことが多いですか?
一般市民として関心がある
ありがとうございます。一般市民として関心を持たれているのですね。 デジタル教科書について、どの程度ご存知ですか?
ある程度知っている
ありがとうございます。「ある程度知っている」とのことですが、デジタル教科書についてはどんな情報に触れて知りましたか?
報道レベルかな 今大学生の子供たちが中高だった頃に興味を持って接していました
報道をきっかけに関心を持たれて、お子さんが中高の頃に実際に意識して見ていたのですね。 その当時、お子さんの学校ではデジタル教科書(または教科書のデジタル版)をどのくらい使っていましたか?
どうでしょう? あまり使ってた印象はないですね 重いテキスト抱えて登校してましたから
なるほど、当時は紙中心で、重い教科書を持って通っていた印象が強いのですね。 その「重い教科書を抱えて登校していた」ことについて、保護者としてどの程度「負担だな」と感じていましたか?
健康に悪そうだし、公共機関を使うとき邪魔して申し訳ないなって見てました
健康面の心配と、公共交通機関で周りの方に迷惑をかけてしまうのでは…という気持ちがあったのですね。 その「健康に悪そう」という点は、具体的にはどんな影響が気になっていましたか?
重いモノを背負ってましたから
たしかに、重いものを背負い続けるのは心配になりますよね。 その「重さ」が特に問題だと感じたのは、どういう場面でしたか?
リュックを代わりに持ってみたら、ビックリするくらい重かったです
実際に持ってみて「これは相当重い」と体感されたのですね。 その重さを踏まえると、教科書がデジタル中心になって荷物が軽くなることに、どの程度期待がありますか?
かなり期待します タブレットかPCの重さだけになるんですから
かなり期待されているのですね。荷物が軽くなる実感がはっきりあるのだと思いました。 一方で、教科書がデジタル中心になった場合に「これは心配かも」と感じる点はありますか?
紙の方が学習効果があるとは言いますね それは気になるポイントかな
たしかに「紙の方が頭に入りやすい」という話はよく聞きますし、気になりますよね。 紙の方が学習効果があるかもしれない、という点について、特にどんな学習で差が出そうだと感じますか?
書いて覚えるものとかですかねぇ 僕個人はそこまで差があるかどうかはには疑問ありです それより集中せずに他の機能使っちゃうってことの方があるんじゃないかな
なるほど、「書いて覚える」学習は紙が強いかもしれない一方で、実感としては差よりも“他の機能に逸れてしまう”ことの方が心配、という感覚なんですね。 その「集中せずに他の機能を使ってしまう」としたら、具体的にはどんな使い方を想像していますか?
SNS見たり、検索したり、ゲームしたり
SNSやゲーム、検索などに流れてしまうイメージなんですね。たしかに端末だと起きやすそうです。 そうした寄り道を防ぐために、学校側にどんなルールや仕組みが必要だと思いますか?
学校側というより、システム的にその時間はその科目のテキストしか見れないようにすれば良いんじゃないかな
システムで授業中は教科書以外を見られないようにする、という発想なんですね。学校ごとの運用に頼りすぎない形を求めているのだと感じました。 その「その時間はその科目のテキストしか見れない」制限は、どの場面に適用するのが現実的だと思いますか?
授業中
了解です。授業中に限ってシステム的に制限するのが現実的、ということですね。 その場合、授業中に「検索もできない」状態になることについては、どの程度デメリットだと感じますか?
ここは微妙ですね。 検索のログが先生にも見れるようになっていることで、抑止効果を持たせるというのがいいのでしょうか。これは検索だけではなくAIの利用などにも関わるところなので、どこまで自由度を持たせるかというのは悩ましいところですし、学年によっても変わるのかもしれません。
たしかに悩ましいですね。検索やAIの活用は学びを広げる一方で、授業中の逸脱も起きやすいというバランスだと受け取りました。 先生が検索ログを見られる仕組みについて、プライバシー面の受け止めとしてはどう感じますか?
教育を受けている身なので、その点に関してはプライバシーを厳しく考える必要はないかと
なるほど、学習の場面では一定の監督があってよい、というお考えなんですね。 その「一定の監督」として、先生が検索ログを見られるのはどの程度までなら許容できると感じますか?
基本的には、そのタブレットを使って行った検索に関しては、教師や両親が見られるようにしておく、ということでいいと思います。 もちろんプライベートのことはあるんだけど、それについては自分が持っているスマホでやるでしょう。そこは切り分けでいいんじゃないかな?
切り分けで考えるのが現実的、という感覚ですね。学校の端末での検索は先生や保護者が見られてよい、という線引きもはっきりしています。 その前提で、学校が配る学習用端末(教科書用タブレット等)は、私物端末とは別に「学習専用」にする運用についてはどう思いますか?
そうすべきだと思います。
学習専用にすべき、というお考えなんですね。 では、学校の端末を「学習専用」にする運用を進めるとしたとき、いちばん現実的なハードルになりそうなのは何だと思いますか?
制限をきつくすればするほど、端末のカスタマイズが必要になるので、価格が上がるということでしょうかね。
たしかに、制限を強めるほど端末や管理システムの作り込みが必要になって、コストが上がる懸念はありますよね。 その「価格が上がる」ことについて、無償配布の範囲(公費負担)をどう設計するのが望ましいと感じますか?
無償でやるべきだと思っています。 それくらいのコストをかけてもいいんじゃないですか?
無償でやるべき、というお考えなんですね。公費で負担してでも進める価値がある、という感覚が伝わってきました。 その「無償でやるべき」という考えの中で、自治体ごとに端末や環境に差が出ることについては、どの程度気になりますか?
それは悩ましいですね。 まあ理論的には全国一律であるべきとは思いますが、一定程度差が出てくることは仕方がないのかな。
全国一律が理想だけれど、現実には一定の差は避けにくい、というバランス感覚なんですね。 その「仕方ない」と感じる“差”について、どの程度までなら許容できると思いますか?
タブレットの機能の差くらいでしょうかね。
なるほど、まずは「学習できる最低限は揃っていて、機能差は多少あってもいい」という感覚に近いのですね。 その「許容できる機能差」として、具体的にはどんな機能の違いを想定していますか?
アクセスできる生成AIの違い
生成AIへのアクセスの違いは、学び方そのものに影響しそうで気になりますよね。 その「生成AIの違い」があると、授業や学習のどんな場面で差が出そうだと感じますか?
どこまで深いところまでアプローチできるかという差が出てくることは間違いないでしょうが、それは今でも先生の差で出てくるというところもありますからね。 許容の範囲ではないかと。
先生の差と同じように、AIの差も一定は許容できる、という見立てなんですね。 では、この法案(デジタル教科書を正式な教科書として位置づけること)について、制度設計をする人に「こうしてほしい」と伝えたいことがあるとしたら、どんな内容になりますか?
紙のテキストがデジタルになるという、単純な置き換えではなく、デジタル教科書の今後の可能性の広さを閉ざさないような形にしてほしいと思います。
おっしゃる通りで、単なる紙の置き換えに留めず、将来の発展余地を残す制度にしてほしい、という期待なのですね。 その「可能性の広さ」として、デジタル教科書に今後取り込んでほしい機能や使い方は、どんなものを想像していますか?
生成AIとの連動ですね。そのことによって、個々人にカスタマイズされた教え方などができるようになっていくところまで、広がっていくことを期待しています。
生成AIと連動して、学びを個別最適化していく方向まで見据えた制度にしてほしい、という期待なのですね。 その「個々人にカスタマイズされた教え方」が進んだときに、まず学校で実現してほしいのはどんなことですか?
一方的に教えるのではなく、各生徒の個人個人の状況を見ながらフォローアップするような、コーチング的なアプローチを期待したいというのが一つ。 もう一つは、人間関係や社会性といったところに目配りをした対応を期待しています。そこら辺はいじめ問題などにもつながるところでありますから。
コーチング的に個別の状況を見てフォローすること、そして人間関係・社会性(いじめ等)にも目配りすることへの期待があるのですね。 その「人間関係や社会性に目配りした対応」として、デジタル教科書や端末の仕組みで、どんなことができると良いと思いますか?
デジタル教科書や端末が何かをするというよりは、デジタル教科書や端末が生徒に知識を付与したり学びを深めたりするという役割を担う分、教師がそれとは別のところに労力を使えるようになるという点が大きいと思っています。
なるほど、端末自体に“人間関係対応の機能”を載せるというより、知識面の負担をデジタルが肩代わりして、先生が子どもの様子を見る時間を確保できることに期待されているのですね。 その期待に関して、学校現場でデジタル教科書を正式に扱うようになったとき、運用面でいちばんハードルになりそうなのは何だと思いますか?
端末・通信トラブル対応
端末や通信のトラブル対応がいちばんのハードル、という実感なんですね。 そのトラブル対応で、特に「授業が止まりやすい」と感じるのはどんなトラブルですか?
端末が動かなくなるということが一番の問題ではないでしょうか。 また、通信環境も頻繁に途切れたりしますからね。そうなった時にどう対処するかについては、プランBとして考えておく必要があると思います。
端末が動かなくなること、そして通信が途切れることが、授業を止めやすいポイントなんですね。たしかに「プランB」を用意しておく発想は重要だと思います。 その「プランB」として、現実的に学校が用意すべきだと思うのはどんな形ですか?
生身の人間、学生同士でディスカッションをしたり、何かコミュニケーションをするような機会を設けておくというのは必要だと思います。 そういうトラブルの時間を、そうした対話の時間に置き換えるというのはあるのではないでしょうか。
トラブル時の時間を、学生同士のディスカッションや対話の時間に置き換える、というプランBは現実的で良いアイデアですね。 そのプランBを成立させるために、普段の授業設計の中で「どの程度まで」対話・ディスカッションの時間をあらかじめ織り込んでおくのが良いと思いますか?
どうでしょうね。そこらへんは、生成AIが教育現場に入ってきたことによって、どれくらい先生の労力が割けるようになり、さらに生徒たちの学習スピードがどういう風になるかによるとは思うんですけれどもね。 でも、やっぱり年齢にもよります。 1. 幼い場合 やはり、こういうコミュニケーションや社会性を身につけさせる時間が多い方がいいでしょう。 2. 学年が上がった場合 そういう時間は少なくてもいいでしょうからね。
学年によって配分を変えるべき、ということですね。低学年ほど対話・社会性の時間を厚くする、という考え方はとても筋が通っていると感じました。 その「低学年」の想定で、授業の中で対話・コミュニケーションの時間は、全体のどのくらい(例えば“だいたい○割”の感覚)を目安にするのが良いと思いますか?
例えば、小学1年生とかだったら、5割くらいはその時間にとってもいいんじゃないですか?
小学1年生くらいだと、授業の5割は対話・コミュニケーションに充ててもよい、という感覚なんですね。 では反対に、高学年(例えば中学生〜高校生)くらいになった場合は、対話・コミュニケーションの時間は全体のどのくらいが目安だと思いますか?
1割くらいじゃないでしょうか。
中高生くらいだと1割くらい、という目安なんですね。学年でメリハリをつける考え方がよく分かりました。 ここまでで、未確認の点を一つだけ伺います。 紙とデジタルを比べたとき、学びやすさはどう変わると思いますか?
場面によって使い分けが良い
使い分けが良い、という感覚なんですね。 その「使い分け」をするなら、デジタル教科書の方が向いている学習場面はどんな場面だと思いますか?
まあ使い分けというよりも、生成AIがどこまで組み込まれるかによって変わってくると思いますよ。 生成AIが本当に組み込まれるようになるとしたら、学習の大部分は生成AIとやり取りすることによって学んでいくエリアが多くなってくるでしょうからね。 知識面に関してはそうですが、社会性などはまた別になります。ですから、それらとの兼ね合いによって、ここのウエイトが変わってくると思います。
生成AIの組み込み具合で「デジタルが担える学習領域」が大きく変わる、という見立てなんですね。知識面はAIとやり取りしながら進み、社会性は別枠で、全体の配分が変動するという整理だと受け取りました。 その前提で伺いたいのですが、デジタル教科書(+生成AI)が担う「知識面の学習」は、学校の学習全体のうち将来的にどの程度まで比重が高まると思いますか?
これは学年によると思います。 学年が低い(低学年の)場合は、モチベーションを上げることが強く必要になるので、そこはまだ生成AIだと十分ではない可能性があります。 ただ、単純に知識面だけであれば、デジタルに移行することができるのではないかと個人的には思っています。
学年が低いほど「やる気を引き出す」部分は生成AIだけでは十分でないかもしれない一方、知識面そのものはデジタルにかなり移行できる、という見立てなんですね。 未回答の論点を最後に1つだけ伺います。 デジタル教科書を使うことについて、いちばん気になる懸念や課題は何ですか?
学校運用(準備負担・トラブル・ルール)
ありがとうございます。学校運用(準備負担・トラブル・ルール)がいちばん気になるのですね。 ここまでで、端末が動かない/通信が途切れると授業が止まりやすい、だからプランB(対話の時間)も必要、というお話が印象的でした。 この「学校運用」の中でも、制度として優先して手当てすべきだと感じるのはどれですか?
準備負担(教材準備・授業設計)
準備負担(教材準備・授業設計)がいちばん優先、ということですね。 その準備負担について、先生側で特に負担が増えそうだと感じるのはどんな作業ですか?
これも慣れてきた時とそれとでだいぶ変わると思いますが、基本的にはやっぱり授業設計が難しいんじゃないですかね。 正直言って、どういう授業設計をすればいいのかというのは、僕自身もよくわかりません。
授業設計そのものが難しく、慣れるまで特に負担になりそう、という感覚なのですね。しかも現時点では「どう設計すればいいか自分もイメージし切れない」という不確かさもある、と。 その「授業設計が難しい」という点について、先生が特に迷いやすいのはどんな場面だと思いますか?
まあ、先生によりますからね。生成AIのことをどこまで知っているかっていうのもよくわからないでしょうし。 でも一番よくわからないのは、どうやって生成AIに聞くかということを、どういうふうにコントロールするか、ということなんですかね。
先生のAI理解度の差もありつつ、特に「生成AIへの聞き方(プロンプト)をどう扱うか」を授業としてどうコントロールするかが難しい、ということですね。 その“聞き方をコントロールする”やり方として、授業ではどんなルール設定が現実的だと思いますか?
これは、やっぱり生成AIにどう向き合っていくかといったことを、しっかりと練習させてあげる必要性があると思いますよ。先生方もそうですけどね。
生成AIとの向き合い方を、児童生徒も先生も「練習して身につける必要がある」ということですね。 その練習を学校で行うとしたら、どんな内容を“必須の練習”にするのが良いと思いますか?
検索のようにインプットして回答を得るのではなく、何度もやり取りをする。その中から、自分が知りたいことにたどり着けるようになっていく。 そのような生成AIとのコミュニケーションを可能にすることが、一番重要だと思います。
ありがとうございます。生成AIを「一問一答の検索」ではなく、対話を重ねて目的に近づけていく力を、学校で必須として練習させたいということですね。 最後に確認です。そうした“生成AIとの対話力”を評価するとしたら、学校では何を見て判断するのが良いと思いますか?
そういうことを学校が評価する必要があるのかな、というのが一番ありますかね。学校は見守るだけでいいんじゃないかな。
評価そのものは学校が無理にやらず、見守る役割でよいのでは、というお考えなんですね。 では、その「見守る」という方針を取る場合に、最低限だけ学校として確認しておくべきだと思うのは何でしょうか?
ちゃんとした社会性や倫理性が身についているかどうか、ということだと思います。
承知しました。生成AIの使い方の上手さを点数化するより、社会性や倫理性のラインを学校が最低限確認する、ということですね。 その「倫理性」の確認として、学校としてはどんな行動が見えたら「危ないサイン」だと判断できると思いますか?
いじめの兆候があるかどうかが一番大きいんじゃないですか?
ありがとうございます。AIの使い方そのものよりも、いじめの兆候のような“危ないサイン”を早く拾えるかが重要、ということですね。 ここまで一通り伺えたので、これまでの内容をまとめ、レポートを作成します。
お時間をいただき、ありがとうございました。うかがった内容をもとに、要約レポート案を作成しました。内容が合っているかご確認ください。