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本日は、「学校においてデジタルを含む教科書を使えるようにする法律案」について、率直なお考えやご経験をうかがいたいです。差し支えない範囲で結構です。 この「デジタルを含む教科書を正式な教科書として認める」法案は、あなたの生活や立場とどのように関わっていますか?
教育関係の仕事/経験がある
教育関係のご経験があるのですね。 この法案(デジタルを含む教科書を正式な教科書として扱う)について、今の時点では「どの程度ご存知」ですか?
ある程度知っている
ありがとうございます。ある程度ご存知なんですね。 紙とデジタルを比べたとき、学びやすさはどう変わると思いますか?
場面によって使い分けが良い
使い分けが良い、という感覚なのですね。 デジタル教科書を使うことについて、いちばん気になる懸念や課題は何ですか?
学校運用(準備負担・トラブル・ルール)
学校運用面がいちばん気になるのですね。 その「学校運用」の中でも、特にハードルになりそうだと感じるのはどのあたりですか?
学校のルール作り
学校のルール作りが一番のハードルになりそう、ということですね。 デジタル教科書を正式に扱うようになったとき、学校の「どんなルール」を決めるのが特に難しいと思いますか?
授業の50分に全集中しているわけではないため、紙の場合、登場人物の絵に髭を落書きする程度の可愛いものですが、デジタルだと悪い事も増幅されます。フィルターを解除したり様々な手法もネットで出回っていまて子どもの冒険心をくすぐるわけです。様々なトラブルが必ず起こり 例えばタブレットを取り上げるとか、一斉に教員が全員のタブレットの中身をみるとか、そこへの対応で保護者ともめるとか、勝手に写真を加工して拡散するとかカオスがすでに起こっていますが、教科書もデジタルになることでこれは拡大すると思われます。知識の獲得や思考ツールとしてはとても有用ですが、情報リテラシーの指導を学校ごと、教員ごとにばらばらに行うのでなく、全国的に使える資料が必要ですが全国民に通用する抽象的なものをいかに子どもの心に響くものにするかが大切だと考えます。
現場で「もうカオスが起きている」という実感があるのですね。授業中に起きる逸脱行動が、デジタルだと“増幅”されるという見立て、とても具体的です。 今のお話の中で、学校のルール作りとして特に難所になりそうだと感じたのは「端末を取り上げる/中身を見る」などの介入の線引きでしたが、その線引きは、どのあたりまでなら現実的に運用できる感覚でしょうか?
大人社会では人のタブレットを勝手に操作することは非常識ですが、それを子どもならやっていいのかの知的財産権への経験のような問題。しかし子どもは「このおもちゃを自分でカスタマイズしたい」と悪意なく色々やります。情報社会で、情報、端末、拡散、権利といった大人のカオスを子どもにどう整理して伝えるかが必要で、まず物だけ与えるのはかなり怖い事だと思います。誹謗中傷とか盗撮とかデジタルのおかしな使い方を今の子どもたちが大人になった時に正しい判断と自制ができるよう教育するという観点を忘れてはならないと思います。単なる、知識獲得に紙が良いかデジタルが良いかの議論は薄っぺらいです。
おっしゃる通りで、「端末を勝手に触るのは非常識」という大人の規範と、子どもの“カスタマイズしたい”という自然な欲求の間を、学校がどう扱うかは相当難しいですね。単に学力の話に閉じず、情報社会の判断力・自制心まで含めた教育として設計しないと危うい、という問題意識もよく伝わりました。 その前提で伺いたいのですが、学校や自治体が“全国的に使える資料”を整えるとして、どんなテーマ(例:盗撮・拡散、誹謗中傷、著作権、端末の覗き見・取り上げ等)を中核に置くのが現実的だと思いますか?
まず法的な知識。何が犯罪か。人の権利を犯さない使い方。そこだけだと「犯罪予備軍への注意」と刑務所的になるので、「今後、うまく使えばこんなことができます」「しかしこんな事が起こり得ます」が良いと思います。
法的な知識を軸にしつつ、「できること/起こり得ること」をセットで伝える、という設計感はすごく現実的ですね。注意喚起だけだと“刑務所的”になってしまうという感覚も、学校で扱う上では重要だと思いました。 その「できること/起こり得ること」をセットで教えるとき、子ども側に届きやすくするために、どんな見せ方(教材の形式や場面設定)が良いと感じますか?
とても子どもが反応が良いのが
子どもが反応しやすい見せ方があるのですね。 「とても子どもが反応が良い」と感じるのは、どんな見せ方ですか?
劇です
劇形式、すごく納得です。自分ごととして入りやすいですし、善悪の線引きも“状況”の中で考えられますよね。 その劇の中で扱う題材として、どういう場面設定が特に効果的だと思いますか?
まず良い場面。紙ではできない事を見せる。次にちょっと面白くなってやってみたら人を傷つけたような場面。ここで「どうすれば良かったお思う?」と話し合いで他の友達の考え方も知る。
「良い場面→うっかり人を傷つける場面→話し合いで整理」という流れ、とても腑に落ちます。紙ではできない価値を最初に見せるのも、子どもの納得感につながりそうですね。 この流れを学校の“全国的に使える資料”として実装するとしたら、話し合いの最後に子どもたちが持ち帰れる「判断のものさし」は、どんな形にするのが良いと思いますか?
「何かやっちゃおうかな」と思った自分を引き留めるリテラシー。あ、これダメだって言ってた。と照らし合わせるもの。そこの理解力には差があるので全員にわかる短い言葉。罰を恐れる事でやらないというより自分で理由がわかってやらない方向。1回では無理で、レベルアップしながら年3回ぐらいやる。
「自分を引き留める短い言葉」で、罰ではなく理由でブレーキをかけられるようにする、しかも1回で終わらせず段階的に繰り返す、という設計なのですね。現場感がすごくあります。 その“全員にわかる短い言葉”は、どんな言い回しにすると子どもたちが実際に思い出して使えると思いますか?
具体的な場面設定で「これはダメ」「なぜならこの人の権利・時間を奪うから」これをいくつかショート動画おように構成すると誰の頭にも残るのではないでしょうか
具体的な場面をベースにして「これはダメ」「相手の権利や時間を奪うから」と短く結ぶ、さらにショート動画のようにして記憶に残す、というイメージですね。とても実装しやすい案だと感じました。 ここまでの話をふまえて伺います。 学校現場でデジタル教科書を正式に扱うようになったとき、運用面でハードルになりそうなのは何だと思いますか?
学校のルール作り
ありがとうございます。やはり「学校のルール作り」が要になる、ということですね。 最後に伺います。デジタル教科書に関して、制度設計をする人に何か一つ伝えることがあるとしたらそれは何ですか?
情報リテラシー教育(やったふり とりあえず対策しました では絶対何の役にも立たない)(やったふりの教員研修も時間の無駄)本当に子どもが悪い使い方をして困った経験のある人を必ず入れて実効性のある対策を。抽象的対策であとは学校に丸投げの良くあるものでなく。学校にも時間も人材も限界があるので真の情報リテラシー教育とセットで考えてほしい。知識獲得に紙かデジタルかの薄っぺらい議論でなく、情報化社会をどう生き抜くか経験を積みながら抽象的なことを自分の生活で判断できる力を身に付けるというもっと先の目的に沿って総合的に考えてほしい。
現場の実態として「やったふり」になりやすい、そこを制度側が助長してしまうと逆効果、という強い危機感が伝わってきました。実際に困った経験のある人を設計に入れて、抽象論で学校に丸投げせず、時間と人材の限界も踏まえて“実効性のある”情報リテラシー教育とセットで進めるべき、というメッセージですね。 ここまで伺った内容は十分示唆が深く、全体としても論点が出そろいましたので、これまでの内容をまとめ、レポートを作成します。
お時間をいただき、ありがとうございました。伺った内容をもとにレポート案をまとめました。内容に違和感や抜けがないか、ご確認ください。
あと、タブレットを置いてノートを置いてペンケースを置いて・・・となると机が狭い。設備もセットで考えてほしい。
追記ありがとうございます。机の広さなど物理的な設備面も、端末導入とセットで考えてほしいという点、レポートに反映します。以下、現時点のレポート案です。違和感や抜けがないかご確認ください。
💬意見の要約
端末は逸脱行動やトラブルを増幅しうる
フィルター解除等も含め逸脱が起きやすく、端末取り上げ・中身確認の線引きや保護者対応、加工拡散などが既にカオスで拡大が懸念。
全国で使える実効的な情報リテラシー教材を
法的知識(何が犯罪か・権利侵害)を核に、できること/起こり得ることをセットで。劇や短い言葉・動画で年3回程度段階的に。
導入は学校のルール作りと設備整備が要
情報リテラシーを学校任せにせず、運用ルール作りを支える仕組みが必要。端末・ノート等で机が狭いなど物理的環境もセットで検討してほしい。