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💬インタビューレポート

教材制作者

事業者

大学で中高生向けにmicro:bitを使うためのデジタル教科書を制作している。教育関係の実務経験があり、制作側として制度・現場の両面から見ている。

回答日2026.3.28 04:42
インタビュー分量38 分 / 1066 文字

💬主な意見

紙かデジタルかの二択がズレている

紙/デジタルの二者択一で語ると多様な理解を阻害する。そもそも学び方は2種類に割り切れず、教科書形式自体が合う生徒が限られる。

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単なる電子化なら紙の方が良くなる

メディア差を無視して紙の内容をそのままタブレットに入れるだけだと、結局「紙の方が優れている」という評価になりやすい。

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デジタルは教科書より「学習パートナー」

音・動画やAIの反復支援で学びが変わるなら正式採用もあり。AIと喋って新しい価値観へ連れて行くような存在は、教科書より学習パートナー/デジタル友達に近い。

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🎤すべての会話ログ

本日は「デジタル教科書を正式な教科書として認めるための法案」について、感じていることやご経験を伺えればと思います。率直なお話で大丈夫です。 この法案は、あなたの生活や立場とどのように関わっていますか?

教育関係の仕事/経験がある

教育関係のお立場なのですね。ありがとうございます。 デジタル教科書について、どの程度ご存知ですか?

作っています。

制作されているのですね。かなり実務に近い視点をお持ちだと思います。 差し支えなければ、どの学年・教科向けのデジタル教科書を作っていらっしゃいますか?

中高生向けのマイクロビットを使うためのデジタル教科書を大学で作っています。

大学で、中高生向けにmicro:bitを扱うデジタル教科書を作られているのですね。実践と開発の両方に近いお立場で、とても示唆がありそうです。 紙とデジタルを比べたとき、学びやすさはどう変わると思いますか?

両方選べるのが望ましいです。

両方から選べるのが望ましい、という感覚なのですね。 その「選べる状態」を実現するうえで、いま一番ネックになっているのは何ですか?

紙とデジタルどちらがいいかという質問がそもそも多様な理解を阻害していると思う

なるほど、「紙かデジタルか」という二択の立て方自体が、多様な学び方の理解を狭めてしまう、という問題意識なのですね。 では、その二択が現場や制度の議論で前面に出てしまうことで、具体的にどんな学び方(または学ぶ人)が見落とされやすいと感じますか?

2種類の人間なはずないでしょ。また、根本的に教科書というフォーマットは限定的な生徒しか対象にしていないです

おっしゃる通りで、「紙派/デジタル派」の2分類では人の学び方の幅を捉えきれない、ということですね。加えて、そもそも“教科書”というフォーマット自体が合う生徒が限られている、という問題提起だと受け取りました。 その「教科書というフォーマットが合いにくい」と感じるのは、どんなタイプの生徒ですか?

対話的にリアクションで理解をしていくタイプですね。つまり、「デジタル教科書」という時、そもそもそれは対話的であり、教科書というのはレトリックに過ぎない、というメディアの違いを無視してはいけません

対話の中で相手のリアクションを受けながら理解を組み立てるタイプの生徒にとっては、従来型の「教科書」フォーマット自体が合いにくい、ということですね。そして「デジタル教科書」と呼んでいても、本質は“対話的メディア”であり、単に紙の代替として扱うとズレる、というご指摘だと理解しました。 この法案が「デジタルを含む教科書」を“正式な教科書”として位置づけることで、いまおっしゃった対話的な方向性は促進されると思いますか?それとも抑制されると思いますか?

メディアの違いを理解せずに、教科書の内容をそのままタブレットなどに入れるだけでは、それは紙の方が優れている、という結果になります。しかし、マルチメディア(音、動画)がマルチプルインテリジェンスに対応するのであれば、あるいはaiが何度でも教えてくれるのであれば、それは正式に採用した方がいいですね。

とても整理された見方ですね。 - 紙の内容をそのままデジタル化するだけだと、メディア特性を活かせず「それなら紙の方が良い」という評価になりやすい - 一方で、音声・動画などのマルチメディアや、AIによる反復的な支援が入って“教科書”の体験自体が変わるなら、正式採用する価値が出てくる ここで伺いたいのですが、デジタル教科書を正式な教科書として扱うようになったときに、いちばん気になる懸念や課題は何ですか?

怒った時に友人に投げつけられないこと、落書きができないことです。これは、冗談で言っているわけではありません。アトムの世界の可塑性やナラティブがない。

冗談ではなく、学習の「物質性(アトムの世界の可塑性)」や、そこから生まれるナラティブが失われる、という懸念なのですね。投げつける/落書きする、という行為自体が良い悪いの話というより、「モノとしての教科書」に付随する身体感覚や関係性が学びに影響している、ということだと受け取りました。 今おっしゃった中で、特に「落書きができないこと」について伺いますが、それができないと学びの面では具体的にどんなことが起きると思いますか?

美術大学に行く人には、教科書の余白が学びの中心です。世界に余白がなくなるのが問題です。

美術系に進む人にとっては、教科書の余白そのものが思考や試行錯誤の場で、そこが失われると「世界から余白が消える」という感覚につながるのですね。とても重要な視点だと思います。 デジタル教科書を正式に扱う制度になったとき、その「余白」を守るために、最低限どんな仕様や運用が必要だと感じますか?

だから、その聞き方がズレてます。デジタル教科書には、教科書のように乱暴に扱っていいような余白がないのが非常に問題です。

ご指摘ありがとうございます。こちらの聞き方が「デジタルで余白を再現すればよい」という前提に寄っていて、ズレていました。おっしゃっているのは、そもそもデジタルは“乱暴に扱っていい余白”を持ちにくく、教科書的な可塑性を代替しづらい、という論点ですね。 その前提で伺いたいのですが、学校現場でデジタル教科書を正式に扱うようになったとき、運用面でいちばんハードルになりそうなのは何だと思いますか?

興味のない人にデジタル教科書を強制的に渡すこと。選択肢を与えないこと。

強制配布で選択肢がなくなることが、いちばんのハードルだと感じていらっしゃるのですね。 では、制度設計をする人に伝えるとしたら、「選択肢」をどの範囲で確保するのが現実的だと思いますか?

前提として、デジタル教科書をどう使うかしか聞かないで、なぜ使うかの視点が全くない。

ご指摘の通りで、「どう使うか」だけだと手段の議論に閉じてしまって、目的が置き去りになりますね。 では伺いますが、この法案でデジタル教科書を“正式な教科書”として認める目的は、制度として何に置くのが適切だと思いますか?

教師は、なぜデジタル教科書を使うのか、説明できますかね?それがうまく伝えられないのではないでしょうか?

教師側が「デジタル教科書を使う目的」を言語化して伝えられないと、現場では形だけ導入されてしまう、という懸念なのですね。 ここで伺いたいのですが、先生が目的をうまく伝えられていないと感じるのは、どんな場面ですか?

目的を語っているのみたことないけど。やること決まってるんだから。

目的が語られないまま「やることは決まっている」状態で進んでいる、という実感なのですね。それだと納得感がつくりにくいということだと思いました。 この法案が成立してデジタル教科書が“正式な教科書”になった場合、現場で最低限「これは説明されるべき」と感じる目的(建て付け)はどんなものですか?

何で学んでもいいよ。という選択肢を渡すことじゃない?

「何で学んでもいい」という選択肢を渡すことが目的になり得る、ということですね。とても核心的だと思います。 この法案が進む中で、その「選択肢」が名目だけにならず実質として担保されていると感じられるのは、どんな状態だと思いますか?

間違った答えを、堂々と言えることです

「間違った答えを、堂々と言えること」が担保されている状態、というのはとても大事な指標ですね。学び方の選択肢以前に、学習環境としての安全性や余白に関わる話だと感じました。 この文脈で、デジタル教科書が正式化されることで「間違った答えを堂々と言える」ことは、増えそうですか?それとも減りそうですか?

増えそう。だけど、もっと本質的には、学校サボって、本物を見てきました、という方が、学びとしては強い。

増えそう、という見立てなんですね。一方で、もっと強い学びとして「学校をサボってでも本物を見てくる」ような体験がある、という問題提起だと受け取りました。 この法案でデジタル教科書が正式化されることで、そうした「本物に触れる体験」へのハードルは下がると思いますか?それとも上がると思いますか?

うーん、学校に行きたくない生徒にとっては、どうでもいいことなんじゃない?もっと考えることあるし

たしかに、学校に行きたくない生徒にとっては、教科書が紙かデジタルかは優先度が低くなりやすい、ということですね。 ここまでのお話を踏まえて伺いますが、この法案が扱う範囲(教科書の正式化)としては、議論の優先順位として「まずここを外すと危ない」と感じるポイントはどこですか?

何度も言いますが、銀の弾丸はないですよ。教育に。

おっしゃる通りで、教育に「銀の弾丸」はない、という前提がすごく重要ですね。 そのうえで、この法案が「銀の弾丸」扱いされないために、制度や周知の場で避けるべきメッセージ(言い方・打ち出し方)はどんなものだと思いますか?

生徒側からの視点で、教科書を見ることだと思います。

生徒側の視点から教科書を見ることが大事、ということですね。 その「生徒側の視点」を、この法案(デジタル教科書の正式化)の制度設計や運用に落とし込むなら、どんな観点を最優先に据えるべきだと思いますか?

aiと喋れるのはすごくいいと思うよ。

AIと対話できることに可能性を感じていらっしゃるのですね。 その「AIと喋れる」ことが、生徒にとって特に効いてくるのは、どんな学習場面だと思いますか?

aiに新しい価値観の場所に連れて行ってもらうとか、いいんじゃない?

AIが「新しい価値観の場所に連れて行ってくれる」というのは、学びの広がりとして魅力的ですね。 そのとき、学校のデジタル教科書(正式な教科書)にAIが組み込まれるとしたら、どんな働きかけ方だと良いと思いますか?

もうだから、教科書じゃないと思うよ。「学習パートナー」とか「デジタル友達」とか言った方が、未来のビジョンに近い。

「教科書」という言葉が、実態(対話的で伴走するメディア)とズレていて、むしろ「学習パートナー」「デジタル友達」の方が未来像に近い、ということですね。ここは法案の“教科書として正式化する”という枠組みそのものに関わる重要な指摘だと感じました。 ここまで伺った内容をまとめてレポートを作成してもよいですか?

お時間を割いてお話しいただき、ありがとうございました。伺った内容をもとにレポート案をまとめました。内容に抜けや誤解がないか、ご確認ください。

教科書ではなく、「学習パートナー」になるべき、と入れて

お時間を割いてご確認のご依頼までいただき、ありがとうございます。ご指摘のとおり「教科書ではなく、学習パートナーになるべき」という点をレポートに反映しました。以下、内容に抜けや誤解がないかご確認ください。